SMAPがいない世界でおもうこと
SMAPが、わたしの日常からいなくなってから3年。
5人の中でSMAPの曲を歌える人が、木村拓哉だけになってしまう。
中居くんが退所するこのタイミングで、わたしも一度気持ちの整理をしようと思い、筆をとった。
思ったこと、思っていること、書きたいことをそのまま文字にする。
しっちゃかめっちゃかになる気がするけど、実際のわたしの心もそんな感じなので仕方ない!
「あれから3年も経つんだ」というより、「あれから3年しか経っていないんだ」と思う。
もっと何年も、何十年も前のことのように感じる。
忘れもしない、2016年8月13日の深夜。
突然飛び込んできた解散。
信じられなかったし、信じたくなかったけど、事務所からFAXが出ていて、メンバーのコメントもあった。
今までずっといてくれたSMAPがいなくなってしまう寂しさ、恐怖、悔しさ、悲しさ、いろんな負の感情がわたしの中で渦巻いてずっと苦しかった。
人生の半分以上をSMAPと一緒に過ごしてきた。
初めて行ったライブはもちろんSMAPで、鮮明に覚えているのは、大きな音と眩しいステージ。慎吾ママがどうしても見たいとゴネたわたしを、母が連れて行ってくれた。
カラフルで、キラキラした空間にいられることが、とても楽しくて、でも時々大きな音がする特効が少し怖かった記憶がある。
派閥なんて知らずに、ファンをしていた。それで幸せだった。
ベタベタするような仲でも、ビジネスだと完全に割り切った仲でもない、彼らの独特な関係性が好きだった。
歳を重ねて、柔らかく笑い合うことが増えていたような気がしたのは、わたしの気のせいだったのかな。
「浮気しても戻ってきて」と中居くんは言った。でも、今は戻るところがない。
わたしの心の奥、深くてやわいところにSMAPはいた。空いてしまった穴が、今でも塞がらなくて痛い。
月曜の10時に番組がないことが。大型の音楽番組に出ないことが。彼らのつくるライブに行けないことが。5人の歌を聴けないことが。5人の踊りを見られないことが。
いくらほかに好きなものや好きな人ができても、いないことに涙が出る。この文章を打っている今も。
世界が混乱している今この時に、SMAPがいてくれたら、どんなに心強かっただろう。きっとスマスマでは感染予防を呼びかけたりするんだろうな、とか考えちゃう。
SMAPが存在していないこの世界で、よく生きているな、と思う。
5人が一緒にいる、SMAPが好きだから、今の5人を同じ熱量で好きでいられない自分に少し苛立つ。でも、このくらいのわがままは許してほしい。
中居くんが、ジャニーズ事務所を退所することになった。
いくら前向きな退所とはいえ、ジャニーズからいなくなることが、こんなにもさびしくて悲しい。
5人はバラバラになって、ジャニーズのSMAPはもうどこにもいない。3年前からそうだけれど。
気づかいのできる、中居くんらしい会見だった。
聞きたいことをちゃんと教えてくれるけど、すべては明かさないところ。明言はしていないのに、不満を抱かせないところ。言葉で誰も傷つけないところ。
どこまでも優しくて、クレバーな人。
いろいろなものを背負って、いろんな苦しみがあったと思うのに、それでも人の前に立つ時、知りたいことをしっかり教えてくれて、明るくしてくれる、エンターテイナーそのものだった。
親の顔と同じくらいSMAPのことを見て生きてきたので、なんだかお兄ちゃんというかお父さんを見ているような気持ちになって、愛おしさとか誇らしさとかいろんな感情が湧き上がって、泣いたり笑ったりしながら見た。
中居くんに送ったメールが剛くんらしくて笑ってしまった。吾郎ちゃんのさりげないエールで心がじんわり温まった。会見はそんなに見てないと言っていたのに、結構詳しく知っている慎吾くんにほっこりした。
きっと木村さんも、木村さんらしいエールをおくったんだと思う。
連絡先を知ってるなんて、仲いいじゃん?!とびっくりした。
そういうところだよね、SMAP、そういうところがいいよ。
1%から99%の中にある可能性を、諦めきれない自分が嫌で嫌で仕方なかったけど、中居くんはそれを否定も肯定もしなかった。
こんな気持ちでいることを、少し、許されたような気がした。
中居くんの会見で、がっちがちになっていた心がほぐれた。
これまでは、曲を聴くのも映像を見るのも、思い出して辛いだけだったけれど、今は少し違う。
いないことが苦しいし、悲しい。心に空いた穴はふさがらないけれど、それが愛おしく感じる。
SMAPを愛していること、誇りに思っていることを教えてくれて、ありがとう。
わたしも、こんなにも素晴らしい人たちが集まったSMAPのファンでいることを、とても誇りに思います。
5人のこれからが、幸せで溢れますように。